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道楽者の人生観

人間の栄化、天上の娯楽

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あなたにも「頑張れ」

2011/03/13 01:56 ジャンル: Category:日記
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大変なことになりました。
日本史上最大の地震M8,8。
二次災害として津波、火事、原子力発電所の放射能など
立て続けに事件が起こっています。

宮城などの方にくらべれば、東京に住んでる俺なんて大した事はないけど
とりあえず自分が体験したことを一部始終書きます。



3月11日。
この日は卒業式を控えた前日であった。
また、自分がギター部(もとい軽音楽部)としての最後のライブの日でもある。
出番はなんと大トリ。後輩が華を持たせてくれたのだ。
俺のドラムの師匠(通称、総長)も来ていて緊張と高揚のピークであった。

14時46分。
他のバンドのライブ中に地震が起きた。
その場にいたものは後に口をそろえて言う。
ライブではしゃぎすぎて揺れていたと思っていた」、と。

しかし、そうではないと気がつくまでにそれほど時間はかからなかった。
ライブは視聴覚室で行っており、天井と繋がったTVが4~5つ程あるのだが
それが大きく揺れているのだ。ただ事ではなかった。

まともに立っていられない。やばい。
脳がかつてない身の危険を報せている。
俺は友人たちと共に机の下に身を隠した。

周囲のテンションは上がっていた。
俺たちが地震を起こした!」 「ヤバイヤバイヤバイ!」 「怖い!
「テレビから離れろ!」 「面白い!」

狂っていた。
誰もが体験したことがないためか、興味本位で面白がってる者もいれば、
恐ろしくてその場から立ち去ろうとした者もいた。

揺れが収まった後、俺は鞄から携帯を手に取った。



当然、ライブは中止となり
俺たちは教室へ場を移し待機しているよう命じられた。

一言で心境を伝えるならば、『打ちひしがれていた』。
家族は無事か。俺たちのライブは終わった。これからどうなる。総長たちには悪いことをした。
そんな感情が入り乱れる中、担任が戻ってきた。

「卒業式は15日に延期。17時を過ぎた時点で歩いて帰れる者は帰れ。」
そう言って、現在のクラスにいる者の出席を取り始めた。


歩いて帰れと言われたって、家には電車で最短でも30分以上かかる。
無理だ。電車が動くのを待つか・・・。
と、考えている最中、また軽く余震が始まった。

不安が募る。
携帯が振動した。
母からだった。

こちらは無事。今、有楽町にいる。



少し心の重荷が取れた気がした。

しかし、まだ家族全員の安否は分からない。
特に兄貴は解体屋なので、建物の下敷きになっているのではないか・・・。
考えたくもないが、あり得てしまう。

クラスのF組の奴らは、菓子を食べながらまるでパーティのような雰囲気だった。
事態の深刻さを自覚していないのか。
あるいは、皆恐ろしい現実から目を逸らしたいのか。

段々と怒りが燃えてきた。
ライブを台無しにされたこと。自分がこんな目にあっていること。
俺が家族の心配しているのを余所に、のうのうと世間話をしている女子。

天変地異にはどうしようもない。
やり場のない感情に終いにはじっとしていられなくなり、
俺は母を迎えに行くことを決意した。



2時間後、俺は三菱のビルの中にいた。
結論からいえば、母と合流することができたのだ。
電話が混線し、メールもろくに意思疎通できずに歯がゆい思いをしたが。

どうやら母は今夜はここで明かすつもりだったらしい。
意気込んできた自分が馬鹿らしくなった。

来る途中にコンビニに寄ったが、おにぎりやパンは全て品切れだった。
外の渋滞から察するに、食べ物が運搬されてこないのだろう。
食べ物は貴重になる」、そんな冗談を友達と言ったのが本当に現実になった。


しばらくすると、母がビルの中からおにぎりなどの軽食を用意してくれた。
俺はむさぼりつくように食らった。

同じ境遇の難民の人たちにも、三菱の人たちから水と缶詰のパンが配られた。
母の知り合いから携帯の充電もさせてもらった。
三菱は優良企業なのだな、と改めて分かった。

ここまで良いところなら安全で何不自由なく一晩過ごせるだろう。
強いていうなら布団で寝たいところだが。


そんな折、気仙沼での火事の映像がビル内のテレビで流れていた。
地獄のような光景であった。

被災者たちは苦しんでいる。
俺はこんなところで何をしているのか。

俺にはまだ帰れる家があるんだ。
中には津波で家が流されてしまった人、地震で崩れてしまった人、
火事で燃えてしまった人もいるだろう。
その人たちと比べてどうだ。
俺にはまだ家がある。

帰ろう。
何時間かかってもいいから。



深夜2時。
たまたま動いていた銀座線で上野にたどり着くと絶句した。

まるで戦後のように、難民が駅内に膝を抱えて座っているのである。

絶望した目をしている者もいた。
ここまで頑張ってきたが、ついに涙がこぼれてしまった。
体験談でしか聞いたことのない世界が眼前にあるのだ。

環境は違えど、自分も先程まで何もせずにこうしていたのだ。
上野から自宅まで電車なら15分強だろう。
その程度、自分の足で歩いてみせる。

そうやって自分を鼓舞させながら、俺は人の溢れる通路を力強く歩いた。



母と話しながら歩いた。
愚痴はなるべく言わないように。

こういう時、家族は支えになる。
居てくれるだけでとても心強い。
母を今守れるのは俺だけだ。

歩調はなるべく合わせて、ふらふらになる前に水分補給させる。
半分は自分のわがままにつき合わせてしまったので、
なんとか家まで連れて帰らないといけない。

普段は甲斐性のない俺だが、
皮肉なことに人間は災害のとき、最も活躍できるらしい。
そこには善も悪もなく、どの行動も全て生き残るために。


皆、頑張れ!頑張れー!
振り向くと自転車に乗りながら大声を出している人がいた。
この人もきっと、自分も何かしなくてはいけないと行動する人だろう。

勇気づけられた。
というより希望がもてた。

真夜中にあり得ない大渋滞、人ごみ。倒壊した家。
見るもの全てが狂ってしまっているのか。
はたまた自分がおかしくなっているのか。

そんな信じたくない非日常に、「頑張れ!」という言葉が心に沁みた。
また涙がこぼれた。

頑張ります!家族のために!



深夜5時38分。
無事、帰宅。


途中で何度も休憩を挟んだし、実質歩いた時間は約6時間ぐらいか。
パソコンを起動し、一応のブログの更新を済ませ就寝。

その後、睡眠は12時間におよんだ・・・。



あとがき

とても長い更新になりましたが、たった一日の出来事で全て事実です。
幸い、祖父母と兄貴含め家族はみな無事でした。

俺なんかより被災者はもっと辛い想いをしています。

いつもならニュースを他人事のように見ていたでしょう。
けれど、多少なりとも体験をしているからこの地震の恐ろしさは理解できるつもりです。

美談を書くつもりはありません。
俺が言えることは家族がいるだけで心強いということと、
頑張れ」って言葉がどれほど人の力になるか、ということです。

まだ地震は続いています。
ニュージーランドやアメリカも支援活動をしてくれています。
災害において人種は関係なく、人が危ないなら助けるという原点で人は動きます。

俺にできることは少ないです。
けど、何かしないといけない気がしてこんな記事を書きました。

気休めでも自己満足でも構いません。

被災者の人たち!
頑張れ!
 

【コメント返信】
>>AK
そちらも無事なようでなによりです。
引き続き何事もないようご注意を。

前々から大きな地震は起こるって言われたましたけど、どこか自分には関係ないって思ってました・・・

自分の両親はどちらかというと助けられる側ではなく助ける側で、11日は家に帰ってこれませんでしたからとても心配でしたね。けど、両親とも怪我ひとつなくてホッとしました。

[ 2011/03/13 02:58 ] [ 編集 ]
家族全員が無事で何よりです。
所詮他人事と危機感が無い奴らなんかほっときなさい。
ストレスが溜まるだけだぞ。
[ 2011/03/13 10:08 ] [ 編集 ]
どく氏から「有楽町にて立ち往生をしている」と聞いてとても不安になったが
この更新を見て安心したよ

[ 2011/03/13 17:19 ] [ 編集 ]
家族も含めて無事で良かったね。
俺も青森のばあちゃん含めて家族全員無事だったよ。
[ 2011/03/13 19:47 ] [ 編集 ]
東京でもまだまだ気が抜けないよね
われわれにできること、考えていきましょ
[ 2011/03/14 20:02 ] [ 編集 ]
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プロフィール

Mr.Fool

Author:Mr.Fool
一年で会社を辞めた浪人生のブログ。
将来は国語教師を目指している。

人生は何時だって思い立ったが吉日。
やりたい事と成すべき事、
未来をイメージしながらそこへ辿りつく。


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